地下鉄日比谷線南千住駅付近の車窓から見えるお地蔵様に、何か異様なものを感じていました。ここが江戸時代浅草仕置場、千住小塚原刑場跡でした。この刑場は間口60間(約108m)、奥行き30間(54m)の約2千坪ありました。江戸から明治(1873年)に廃止されるまで、約二十万人もの人が磔・斬罪・獄門などに処せられました。
「泪橋交差点」 浅草から歩いてくると台東区と荒川区の境に、明治通りと吉野通りとの交差する泪橋交差点があります。今の明治通りは、昔の思川(おもいがわ)を埋め立ててつくられました。その思川に架かっていた泪橋が地名として、交差点やバス停に残っています。2004年に東海道を歩いたときにも、鈴が森刑場跡近くにも泪橋がありました。 いまは、「あしたのジョー」の舞台となったところとして有名のようです。
刑死者ははじめ本所回向院に葬られていましたが、手狭になったために、本所回向院の別院として建てられた千住回向院に葬られるようになりました。JR線路をくぐると史跡小塚原回向院があります。 千住回向院には、幕末の安政大獄や、桜田門外の変の犠牲者、昭和の2.26事件で刑死者、ねずみ小僧次郎吉、高橋お伝などが葬られています。 安政の大獄に連座した吉田松陰の辞世碑が、終焉の地、伝馬町牢跡の十思公園(日本橋小伝馬町)にあります。碑には「身はたとひ武さしの野辺に朽ちぬともとヾめ置かまし大和魂 松陰二十一回猛士」 と刻まれています。
小塚原刑場はみせしめのために日光街道に面してありました。鉄道工事では僅か1m半くらいの地中から沢山の人骨が出てきました。そのために名づけられたという「コツ通り」です。
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