日光街道沿線 No.1 日本橋(東京)

出発の日本橋
2005年4月10日号
撮影日: 2005年3月6, 20日  フィルム:NEOPAN400 PRESTO   スキャナ:COOLSCAN II
日本橋  1616年徳川家康が没した後、幕府は家康を駿河の久能山に葬りましたが、翌年日光に改葬しました。1636年東照宮が完成すると、将軍 ・大名などをはじめ庶民が日光へ参詣するようになりました。日光へ参詣のための道は、日光街道 ・例弊使街道(朝廷の勅旨が通った道)・日光御成街道(将軍が通る道) ・会津西街道(東北の大名が通る道)があります。
 今回は日本橋から日光までの日光街道です。日光街道は、距離144km、20〜23宿ですが、宿場にとらわれず沿線を巡って行こうと考えています。

 まずは、起点の日本橋からです。
 現在の道路元標は高速道路に架かっています。この道路元標の下には元標のプレートがあります。私も昨年は気が付きませんでした。日本橋のたもとにある復元された道路元標が本物と思っていました。
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 三越本店の前のです。休日のショッピングを楽しんでいるのでしょう。でも、この近辺に住んでいる人が少なくなっているらしく、以前は、三越で粋な江戸っ子を思われる年配の方をよく見かけましたが、最近はほとんど見かけなくなってしまいました。
 (撮影 2005年3月20日(日)12:40)
日本橋
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日本橋  日本橋も表通りを外れると、日曜日で、誰もいないオフィス街があります。このあたりは名前のよく知れた製薬会社が集まっています。江戸時代に薬屋さんが多かった名残のようです。にぎやかな日本橋から、日曜日の休日の日本橋オフィス街です。
(撮影 2005年3月20日(日)13;00)
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  ”発句也松尾桃青宿の春”

 芭蕉の句碑が「鮒左」のビルの前にあります。寛文12年(1672)、伊賀上野から江戸へ出てきた29歳の俳号を桃青といっていた松尾芭蕉が、俳諧の宗匠をめざして日本橋魚市場近くの小田原町に住んでいました。その後、延宝8年(1680)芭蕉は深川へ越し、数々の名作を生んだ旅に出ました。日本橋は芭蕉にとっても俳諧の宗匠としての出発の地です。
 日光街道は、芭蕉の「奥の細道」とも千住の宿から日光まで重なっています。
日本橋
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