大高取山 越生町

2020年5月31日(日)曇り
新型コロナウイルスの非常事態宣言が、25日に残っていた東京都、神奈川・埼玉・千葉県も解除されました。ハイキングの会は、6月から山行を再開すると案内がありましたが、中止の山行が多くなっています。アルバイトは再開のめどが立っていません。このブログも以前のように、ハイキングに行った時に書くことに戻します。
非常事態宣言が解除されても、県域を越えた移動は控えるようにという条件が付いています。埼玉県内なら行ってもよいのだろうと、バスに乗らずに、駅から歩ける越生町の大高取山へ、友人を誘って出かけることにしました。
コースは、越生駅→世界無名戦士の墓→西山高取→大高取山→桂木観音→三満山 虚空蔵尊→越生駅 歩程約3時間です。
混むであろう時間を少しでも避けて、集合を越生駅8時30分としました。友人とは、東武東上線朝霞台で合流することにしました。電車は非常事態宣言前の日曜日よりもずっと空いていました。ハイカーもちらほら見かけるくらいです。
越生駅で下車したホームに、東武の改札口ができていました。駅の待合室もなくなり、エレベーターが設置されていました。越生町のホームページに、2019年3月に東口を作り、JRと東武の改札を別々なるように、改築したと書いてありました。また、駅舎が年内に建て替えることも書いてありました。駅前で身支度をしていると、電車が着くたびに、数組のハイカーが降りてきました。越生町はハイキングの町です。
8:45 ゆっくり歩くことにして、私たちも出発しました。
越生町を囲むように山が見えます。突き出た大高取山と、白い大きな世界無名戦士の墓が山腹に見えます。

マスクを着けて歩きだしたのですが、登りになると息苦しく、周囲には誰もいません。私たちだけなので、マスクを外して歩くことにしました。
世界無名戦士の墓へ向かって緩い登りが続きます。新緑が一番きれいな季節に歩くことができなかったのですが、濃くなってきた緑の中でも、歩けることがうれしくなります。誰もいません。

途中の展望台から越生町です。9:19 世界無名戦士の墓着。家族連れがいましたが、下りていきました。
世界無名戦士の墓の横からいよいよ山道になります。まだアップダウンは少ない道です。9:54 西山高取着、1組のハイカーがいました。私たちも休憩です。歩いていると、至る所でコアジサイが咲いていました。梅雨が近いです。西山高取から大高取山までは登りが続く道です。山に来たという感じになってきたと、二人でウキウキして歩きます。
10:40 大高取山着、2組のハイカー、散歩のようないでたちの地元の人がベンチで休憩していました。先に着いていたハイカーは、さっさと出発していきました。地元の人と思われる2人は、ここから引き返していきました。
私の足がパンパンになってきました。山歩きのブランクが2ヶ月のつけが、出てきたようです。毎日歩いていたのですが、やはり山をコンスタントに歩いていないとだめです。下山するまで、筋肉疲労を起こし、つらなければよいのですが。11:35 桂木観音着、昼食休憩。ツーリングの男性2人が昼食をとっていました。あとから単独行のハイカーが2人降りてきました。曇っていましたが、東京スカイツリーも、横浜もわかりました。12:00 午後の出発、一般道を下ります。
アジサイが間もなく咲きそうです。途中に、柚子畑の間の道を行きます。真っ白な柚子の花が咲いていました。初めて見ました。冬に来た時は、柚子農家が柚子を売っていました。ユキノシタモも見付けました。小さい花です。写真は、携帯で名前を調べるためにアップにしたため、実際と印象が違います。山道が終わると、「三満山 虚空蔵尊」です。
あとは駅まで30分です。足はパンパンになっていますが、つりませんでした。一面のクローバーを見つけて喜ぶ私たちは、田舎育ちの都会の住人になったみたい。つい、懐かしくなって、はしゃいでしまいました。13:45 越生駅着。駅前でお疲れ様と、ビールで乾杯。
14:17 坂戸行きで帰宅。楽しい山歩きでした。
出会うハイカーは、単独行、もしくは少人数のグループでした。なるべく他のグループと接触しないように歩いているようでした。私たちはコロナ禍にいます。

「山を歩いていないから、筋力が落ちたことを実感させられるよ」と、友人に言われていましたが、本当に落ちていました。草加は関東平野の真ん中で、山も、丘も、街中に坂もありません。足が弱るから何とかしなければと思っていても、階段を上ったり、下りたりもできなくて、怠けてしまいました。少しずつ山を歩いて取り戻すしかありません。

草加松原とおくのほそ道

2020年5月14日(木)
新型コロナウイルスの緊急事態宣言はまだ解除されません。山岳団体も登山を自粛するように言っています。ハイキングの会の山行も、いつ再開されるか分かりません。アルバイトもお休みが続いています。
今回は草加松原の案内です。草加は、日光街道と奥州街道の2番目の宿駅(宿場町)、草加宿でした。草加宿といえば草加松原です。東武スカイツリーライン 獨協大学前<草加松原>駅から徒歩5分の所に「おくのほそ道の風景地 草加松原」があります。駅にも横断幕があります。

駅から東へまっすぐ歩くと、百代橋の大きな横断歩道橋が見えてきます。駅側からでは全体が見えないので、百代橋を潜り、文化会館前から撮りました。百代橋歩道橋のたもと北側に「国指定名勝 おくのほそ道の風景地 草加松原」と書かれた石碑があります。

草加市のマンホールにも百代橋が描かれています。
草加松原は、江戸時代から「千本松原」と呼ばれていました。

駅から県道49号足立越谷線に出ます。松並木は県道49号線足立越谷線、旧日光街道に沿ってあります。

道路を渡り、松並木の道沿いに左、北に向かって、東京外環自動車道の手前まで行くと、「草加松原・北端」の道標と丸いオブジェが並んであります。

ここから松並木が札場河岸公園まで約1.5km続きます。松並木は恰好のウォーキング、ジョギングコースです。いつも歩いている、走っている人がいます。

水原秋桜子の句碑「草紅葉 草加煎餅を 干しにけり」

水原秋桜櫻子は高浜虚子の弟子です。札場河岸公園に、正岡子規と高浜虚子の句碑があります。水原秋櫻子の句碑の向きは、松尾芭蕉像の方、正岡子規、高浜虚子の句碑の方です。水原秋櫻子の句碑はほかにも市内にあります。

百代橋の北側のたもとに、松尾芭蕉文学碑があります。
「おくのほそ道」の旅の第一日目、やっと草加という宿にたどり着いたと書いてある部分が、刻まれています。実際は粕壁宿に泊まりました。

松尾芭蕉文学碑
ことし 元禄二とせにや 奥羽長途の行脚 只かりそめに思ひたちて 呉天に白髪の恨みを重ぬといへ共 耳にふれていまだめに見ぬさかひ 若生て帰らばと 定めなき頼の末をかけ 其日 漸早加と云宿にたどり着にけり 瘠骨の肩にかゝれる物先くるしむ
只身すがらにと出立待るを 帋子一衣は夜の防ぎ ゆかた 雨具 墨 筆のたぐひ あるはさりがたき餞なとしたるは さすがに打捨がたくて 路次の煩となれこるこそ わりなけれ
西村本「おくのほそ道」より

百代橋は長さ62.5m、幅3.5m、渡るのはランニング、ウォーキングの人が多いです。

橋の上からの松並木

百代橋の南のたもとに「橋名由来」の石碑、その脇にドナルド・キーン先生の記念植樹があります。
橋の名前は「おくのほそ道」の冒頭部分が由来です。「月日は百代の過客にして 行きかふ年もまた旅人なり」は、学校で古文で習い、今でも覚えています。

国指定名勝 おくのほそ道の風景地 ドナルド・キーン先生の揮毫による標識(記念碑)

矢立橋は長さ96.3m、幅員は4.14m、百代橋の1.5倍の大きさです。
橋名の由来は「おくのほそ道」の「行く春や鳥啼き魚の目は泪 これを矢立の初めとして 行く道なほ進まず」からです。

橋の上から札場河岸が見えます。松並木が終わったところから桜並木です。左は、運河として使われていた綾瀬川です。

松並木の道は、「日本の道 百選」にも選ばれています。日光街道顕彰の碑

松並木は札場河岸公園で終わります。公園には、河岸を再現してあります。案内板に依れば「綾瀬川は草加地域と江戸を結ぶ大切な運河として、草加、越谷、粕壁(春日部)など流域各所に河岸が設置されて、昭和30年代まで続いていました。」とありました。

札場河岸公園入口には松尾芭蕉像があります。

道路を挟んで、おせん公園があります。そこには、芭蕉の同行者河合曽良の像があります。二つの銅像の作者は、彫刻家 麦倉忠彦さんです。

「草加松原 南端」の道標は芭蕉像の前にあります。

札場公園内にある正岡子規の句碑「梅を見て 野を見て行きぬ 草加まで」
正岡子規と高浜虚子は、明治27年3月、郊外に梅花を探る吟行に草加を訪れました。芭蕉の像の近くにある句碑は、正岡子規の弟子である高浜虚子の句碑「巡礼や草加あたりを帰る雁」高浜虚子の句碑の向きは、芭蕉像に向かってあります。

草加松原を、普段何気なく歩いてきました。旧日光街道であることも、「おくのほそ道」の芭蕉が通ったことも知っていました。今回、道端にある石碑を、注意して読みました。
「おくのほそ道」で芭蕉は、西行の足跡を訪ねました。正岡子規は芭蕉の「おくのほそ道」を行脚しました。私は俳句のことは知りません。でも、正岡子規は知っていました。高浜虚子も水原秋桜子の名前は知っていました。この三人が、正岡子規―高浜虚子―水原秋桜子の師弟関係であること、3人の句碑が草加にあることを知りました。
草加に住んでいる私たちにとって、「おくのほそ道」も松並木も身近です。2018年の市民美術展「市展」に出品されていた作品に、「おくのほそ道」の1節を書いた「書」がありました。松並木の松は、冬に向かって1本、1本こもを巻きます。その様子を描いた「絵」がありました。このように身近に、「おくのほそ道」、草加宿<草加松原>があります。